21.船の旅

  • 2019.06.01 Saturday
  • 19:15

 昨日の台風の風雨が嘘のように治まり、鹿児島の港をメンバーを乗せたフェリーは出港する。船旅はなかなかファンタスティックなもので、タイタニック号のように鹿児島湾を雄大な桜島を左手に見ながら進んでいく。甲板を吹く風は台風一過で多少はあったが、爽やかなためメンバーは全員甲板にいて、すばらしい景色に圧倒されながらも、まだ見ぬ奄美大島に想いを馳せていた。このときまで、ブッチャーを除いて、全員このツアーをナメきっていた!

 出港をしても、鹿児島湾を抜けるのに2時間以上かかる。鹿児島湾をぬける頃には、もうすっかり陽は落ちていた。甲板に出ていてもしかたがないので、購入した席、二等客室の部屋に行く。映画や小説で知っての通り、二等客室は船底の最下層の部屋だ。甲板から三階下に階段で降りる。そこへ来て驚いた!

 平らなフロアにところどころに毛布や枕が置いてあり、そこら中に洗面器が散乱して置いてある。先に入った他の客はもう、すでに洗面器を抱いている。ヨー君とオオマサはすぐに青ざめ、こりゃ大変だと思ったらしく早速トイレに駆け込んだ。

 フェリーが鹿児島湾を抜け出て外洋に出ると急にフェリーが大きく揺れだした。チビ太が「大したことないぜ!」とつぶやいた。しかし、それから全員地獄を見ることになる。

 夜、9時を過ぎると船室も消灯となり、船内は小さな明かりだけとなる。台風の影響もあったろうが、船は大きく揺れだし、船室ごとまるで3階建てのビルの上に押し上げられたかと思うと、地の底へ落とされていくような揺れ方。これを延々と何時間も繰り返していく。

 たまらず、さっきまで元気よく大したことないぜ!と言っていたチビ太がウゲェーーッと洗面器にゲロを吐く。続いて、オオマサ、ユキコまでが元気よく、ゲゲーーッ!船室は修羅場と化した。これはたまらないと、ユキコが甲板に上がろうとする。だが、床から立ち上がれない。暗くて階段のところまでも行けない。これが延々と続くことになる。

 

 自分は鹿児島から奄美大島まですぐだと思っていた。船に乗ったらすぐ着くと軽く考えていた。自分だけじゃない、おそらくメンバーの全員そうだったはず。奄美生まれのブッチャーを除いて…

 夜の11時頃、やっと船が港に着いた。奄美大島に着いたかと思うとそうではない。まだ、屋久島であった。そこから、また出港、外洋に出る。日本地図を見て調べて欲しい。鹿児島湾を抜けるだけで相当の距離があり、奄美大島まで直線で250km、しかも奄美に着く前にいくつかの島を経由してフェリーは、奄美そして沖縄へと進むのである。

 

 翌朝、フェリーは奄美に到着。全員、死にそうな顔でフラフラだった。台風で鹿児島で1日待ったので、着いてからの予備日もなくし急遽最初の公演地の小学校に向かうことになる。

 

22.奄美での楽しき日々

  • 2019.06.02 Sunday
  • 19:20

 赤羽根の巡回公演は一つの学校を拠点に周辺の学校を回る形式をとっていたが、奄美大島での巡回公演はいわゆるフーテンの寅さん方式、つまり、各学校で寝泊まりしながら順次、借りた大型ワゴン車に乗って移動をしていく形式だった。島というとそれまで愛知県の篠島と日間賀島のイメージしかなかった。ところが、グーグルマップなどで見て調べてほしい。奄美大島というのは知多半島と渥美半島を合わせたよりも面積が大きくて広いのだ。このことでも奄美大島というものをナメていた。

 それぞれ、学校で公演して寝泊まり、また次の学校に移動して宿泊、公演また移動。3日目ほどでようやくその生活に慣れたころ、その地区の学校で夕方、盆踊り大会が行われることを知る。夕方になると、その地区の人達が集まってくる。数人ではあったが島娘たちが浴衣を着てやってくる。ユキコもオオマサもヨー君もヨダレを流さんばかりに喜んだ!もちろん、赤シャツも…

 メンバーも地元の盆踊りに飛び入り参加、若い浴衣を着た島娘の後に続いて見よう見まねでいっしょに盆踊りを踊る。ユキコがめっちゃめちゃ楽しかったよと言うはずだ。参加したマキコが男子部員達の様子を見て呆れて笑っていた。

 

星砂

 奄美大島の海は愛知の渥美半島とはまた、一味違う大自然の海であった。車で海岸線を移動、すると沿岸に巨大なタンカーの難破船が打ち上げられているのだ。まるでパイレーツ オブ カリビアンのように岩礁に乗り上げ、そのまま傾いて放置されている。

 移動先で海があまりにもきれいなので立ち寄ることになった。真っ白い砂浜であり、海水がコバルトブルーで透き通っている。足を踏み入れるとそこは砂ではなく全部星砂。星砂は海の有孔虫の殻で星砂を手にとって見ると無数の小さな星の形をしている。

 海は浅瀬で砂浜は星砂できれいなのだが、50mほど先の海はなぜが浅黒い。後でわかったことだが、それはサンゴ礁であった。

 広いビーチにいるのは自分たちメンバーだけ、プライベートビーチだ!マキコはあまりの美しさ、南国のビーチ風景に狂気した。全員、ブッチャーから水着を持ってくるように言われていて海水パンツに着替える。マキコだけが車の中での着替え。男子メンバーは、サンゴ「ビキニかなぁ…それともワンビース?」そう言ってにやけていたが、セパレートタイプに白いタオル地のカーディガンのようなものを羽織ってきたので「なーんだ!」といってガッカリした。
 赤シャツとマキコは日焼けを恐れ、少し泳ぎにくかったが、薄いトレーナーを着たまま海の中に入った。

 シュノーケルをつけて海に潜った。驚いた!ほんの深さ1〜2m潜るだけで、美しいサンゴと魚の群れ。しかもエンゼルフィッシュのような美しい魚たち。夢のような時間を過すことになる。

(これらの写真はもちろん当時のものではないが、マジにこのような海だった)

23.天国と地獄

  • 2019.06.03 Monday
  • 16:30

 サンゴ礁の海は想像以上にきれいですばらしい。知っての通り、珊瑚はそんな深いところではなく、水深1〜2mほどのところにあるので、身体を伏せればもうそこは天国の別天地。波間にプカプカ浮かんで顔を海水につければ、きれいな珊瑚と魚たちと戯れることができる。ずっと背を南国の太陽の光に当てたまま、顔と胸と腹だけ海水につけていたことになる。

 ずいぶん時間が立ってからヌーボーが「なんかヒリヒリするなぁ。僕もシャツを着て泳ごう」…しかし、それはもう手遅れだった。2時間ほど遊んだだろうか。海岸にあがり、次の小学校の宿泊地へ向かった。この後、ほとんどのメンバーが地獄を見ることになる。

 

 次の宿泊地へ着くやいなや、ヨー君が背中が痛いと言い出す。同じように、オオマサ、チビ太、ユキコ、ヌーボーもシャツを脱ぐと背中が日焼けして真っ赤だ。ここは、南国の奄美大島、紫外線の量が半端ではない。いたずら半分で彼らの背中をパチンと叩くとうぎゃぁーーっと飛び上がるほど痛がる。笑って追いかけて、逃げ回っていたが、その日焼けの痛がる様子がだんだん尋常ではなくなってきた。

 そのうちに、学校の休息所でみんなうつぶせになって寝込んで、「うううぅぅぅぅーっ あぁ、うぅぅぅーーーーーーっ」とうなり声を出す始末。自分も首筋、手の甲あたりはヒリヒリしたが大したことはない。その時点で生きていたのは、奄美のブッチャーとシャツを着て泳いだマキコと赤シャツの3人だけ。

 南国の太陽を甘く見ていたのだ。その後、学校の休息所は地獄の修羅場と化していく。過度の日焼けで、皮膚から水泡ができ始める。それが時間が立つほどにどんどん大きく膨らんで成長していく。どちらかというとユキコは色黒で軽いようにも見えたが、もともと色白のヨー君、オオマサ、チビ太は重症だった。休息所はそのまま宿泊所になり、一晩中メンバーのうなり声で夜は眠ることができなかった。

 翌日の朝、事態はさらに悪化していく。その水泡と水泡が合わさり、どんどん大きくなって背中全体が巨大な水泡と化していた。そのような水泡は後にも先にも見たことがない。

 そんな状態で人形劇公演をしなければならなかった。顔の黒子はつけたが、黒シャツは着ずに裸で公演…水泡の背中に何かが触れるたびに、ウゥゥーーッ アァァーーッ 声を押し殺して、うぅぅーっ あぁぁーっ…劇は進められて行った。

 公演後、マキコがみんなの水泡を針で手当てに入った。針を火であぶって消毒して水泡の皮を破いていく手術!水泡の水が飛び出て皮が剥がれ、ベロベロに剥けて見るも無残!男たちはヒィーッヒィーッと声を上げて逃げ回った。

 

フェリー 奄美大島から帰るときには多少おさまっていたが、フェリーの中で皮が剥がれてポロポロ床に落ちる。マキコに汚いねぇーっと言われながらも日焼けのやけどの痛みでも命があったことをみな喜んでいた。

 帰途のとき気がついたのだが、フェリーは沖縄から奄美、屋久島、種子島、鹿児島と寄港しながら乗客を運んでいく。寄港するたびに乗客の日焼けの色が薄くなっていく。やはり、南に行けば行くほど陽が強く肌が黒いのだ。奄美大島への巡回公演は、天国と地獄を兼ね備えており、そのあまりの過酷さに、その後どうやって名古屋にまで帰ってきたか、まったく記憶にない。

 

 人形劇部てのひらの暑い暑い夏も終わり、南山大学での生活は二学期を迎えることとなる。

24.大学祭に向けて

  • 2019.06.04 Tuesday
  • 18:57

 2学期が始まった。大学祭に向けて新作を創る必要があった。地下鉄の本山にメルヘンハウスという子ども向け専門の本屋がある。どんな題材があるか、よく通ったものだ。その中にあった「すてきな三人組」という絵本。ファンタスティックで心あたたまる話。これがてのひらの新作のすてきな三人組題材として選ばれた。この絵本は今でも図書館とか子どもの絵本のコーナーで見かけることがある。見かけるたびにこの当時のことを思い出しドキドキ、ワクワクしてしまう。

 

 1学期は、まじめに講義に出たものの2学期になると出るには出たが、気持ちはもう人形劇に集中しそのとりこになっていた。そして毎日、毎日、制作と稽古に明け暮れる。人形劇は、公演のときだけではなく創っていく段階からメンバー全員の心が一つになっていないとできない。公演で公開されるまで、全員の心がゆっくり、ゆっくりと一つにはぐくまれて行く。

 この作品は、とても丁寧に作られ、多くの人に絶賛を浴びた。例えば、プロのむすび座の団長、丹下氏とか。

 

 自分が何の役だったか覚えがない。けれど「てのひら」の人形劇に携わった人は全員覚えがあるはずだ。

 劇の幕が上がる前、黒子をかぶりケコミの中で息を殺して待つ時間・・・今日はうまくできるだろうか?・・・今日の観客の反応はどうだろうか?ワクワク、ドキドキする至高の時間これがたまらなく好きだった。

 人形を操る者たちだけではない、大道具、小道具、ブタ監全員が開始前に目と目を合わせ、お互いに無言の合図をおくり、カーテンが開くのを待つ。開始前、ナレーター役が観客側に立って挨拶をし、開始前に説明をしはじめると全員一致で気持ちを一つにしていく・・・

 劇が始まるともう、ほとんど無心。人形を操作し演ずるもの、大道具、小道具役、そして観客の心が一つになって物語りに没頭していく。それが人形劇の魅力であった。

 制作前も公演中も、そして、演じきった後もメンバーの日常の私生活でも多くのドラマが生まれていくことになる。

25.女子短大との交流

  • 2019.06.05 Wednesday
  • 19:05

 大学祭が終ると愛児連とのかねあいで、共通の会合がいくつか行われるようになり、てのひらも福祉大学、金城大学、自由女子短大、保短大などといっしょに参加し、いくつかの女子短大と合同合宿が行われた。各校練習を行った後、合宿所に合流して人形劇に対する分科会での議論も含め、親睦用の交流集団ゲーム、名前当てゲームなどがなされた。

 "やおやの店先並んだしーな物見てごらん!よく見てごらん、考えてごらん …ちゃん、…君・・・、ボス、ヌーボ・・・" 順に名前を言ってどんどん名前を付け足して、最後に自分の名前を言って、”あーぁ、やおやの店先並んだ・・・” と身振りと歌でどんどん続けていく。後ろの方に行けば行くほどどんどん名前の数が増えていく。自然に名前が覚わるゲームだ。

 名女短大だったかと思うがそのサークルの主幹の女の子は評判の子で、とてもかわいくて魅力的だった。ヨー君は主幹として隣に座り、デレデレとして会を進めていた。このときから赤シャツは、この2人怪しいなとにらんでいた。自分だけじゃない、ユキコも小声で「あれ、できてるかなぁ?」とつぶやいていたのを覚えている。

 

 合宿所で布団がひかれ、全員雑魚寝。隣にはさきほど、名前ゲームで隣に座った短大の女の子が隣の女子短大生布団の中に入って来た。話すこともないので適当な世間話をしているとその子は女子短大のサークルのやりにくさをいくつか話してくれた。当然なのだが、短大は入学して2年目はもう卒業と就職活動が発生してサークルをしっかりやれる状況ではない。だから、4年制大学の学生がうらやましいと思ってること。兄がいて自分をすごくかわいがってくれてるということ。そんな身の上話を聞かされることになる。

 消灯がなされても、それでもひそひそ話をしにきてくれる。しかたがないので小声でゲームをやろうと提案した。

「ボクが適当な話をするから、それに適当に話を創って続けてみて!話がつきたらバトンタッチ、また適当に話をするから…」

”むかし、むかしあるところにおじいさんがいました。川に洗濯にいくと川上から大きなどんぶりがやってきて…”

”そこには巨大な魚が入っていて、突然じいさんを背中に乗せて…すーいすいと雲の上におよいで行って…”

・・・まったくデタラメの話を交互に作りながら、つなぎ合わせてデタラメの話を作り上げていく・・・20分ほど続けただろうか・・・ やっと夜の眠りについたのだった…

(写真はイメージです。話の登場人物とは関係ありません!)

26.初のデート

  • 2019.06.06 Thursday
  • 21:42

 女子短大との会合は愛児連とのことなので、数回行われた覚えがある。合宿で隣にいた子は、あのとき夜のひそひそ作り童話が気に入ったのか、愛児連の会合の時は必ず話しかけてくる。小柄で髪が長く、少しふっくらとした外形的には好みのタイプであった。会合がある度に、話す機会がだんだん増えてくる。

 ある夜、彼女から家に電話がかかってきた。祖母がいるのでこちらの状況をそのまま話すわけにはいかず、また電話で話すのは苦手でどうしようかドギマギしたがなんとか話のつじつまを合わせて電話を切った。数回の電話があった後、とうとう次の日曜にデートをするはめになる。

 

 正直に言うが今まで女性にもてたことはない。こちらから女性に声をかけたことはあるが相手から声をかけられたり、誘われたりしたことはない。デートといってもどこへ行って、どうしたらいいのかさっぱりわからないし、気のきいた食事どころとかデー八事 興正寺トに適したところをなどを全く知らなかった。

 日曜日、落ち合った場所は八事だった。待ち合わせ場所まで行くのにだんだん、ドキドキしてきた覚えがある。行くところがわからないので、肝試しを行った興正寺に行く。興正寺は真言宗系の名刹でありすごくいい佇まいをしていて、秋の紅葉真っ盛りのときだった。近くには、真福寺とか一心寺とか小さなお寺がたくさん。だが、まさか初めてのデートがお寺参りとは・・・きっと彼女もたまげたことだろう。

 ぐるぐると八事の住宅街を無目的に歩いて廻った。手をつないだり、肩を抱いたり、そんな気の効いたことはできなかった。ときどき、どうしたらいいのか、どこへいったらいいのやら、話す会話も見当たらず無言で、八事の高級住宅街の路地で同じ一角をぐるぐる、ぐるぐる廻ってはときどき立ち止まる。すると彼女が見つめてくる。また、歩き出す…またぐるぐる廻っては立ち止まる…それの繰り返し。そこの住人この2人の姿を見かけたなら、”怪しい男女がうろついていた”と警察に通報されたことだろう。

 

 次の愛児連の会合の後、ヨー君がニヤニヤしながら話しかけてきた。

「赤シャツ、うまくやってるなぁ…付き合ってるのか? オレもね、あの短大のサークルの主幹の子、あの子かわいいから知ってるだろ?あの子と…」

 当時、いろいろといろんな恋物語があった。

27.フェス前のジャズ

  • 2019.06.07 Friday
  • 19:02

 その頃、1学期のときバケと付き合っていたチビ太が南山3人娘のひとり、ハンちゃんと付き合うようになっていた。ハンを見つけると肩を抱くようにしてみんなの前で見せつけるように歩く。気が多い奴だなぁとは思ったが恋愛なのでそれも仕方がない。赤シャツの短大の女の子は、あのお寺参りと住宅街ぐるぐる廻りが嫌になったのか、その後きっぱりと連絡がなくなっていた。

 

 大学祭が終って愛児連の活動が増えてきて、その後2学期の終りの年末に人形劇フェスティバルが開催される計画がメンバーに伝えられた。人形劇フェスはどこがどう企画したのか、とにかく名古屋で人形劇を行っている団体すべて(大学・短大サークル他、人形劇団プロ・アマすべて)に呼びかけられ、確か”名演小劇場”だったか?各団体が順次公演を行って人形劇を見せ合う、最大の行事だ。

 人形劇フェスに向けてのてのひらの演目はすてきな三人組だった。大学祭のために作ったがそれをさらに磨いて作品として出品することになる。何回か、泊まり込みで制作にあたっていた。泊るところは下宿組の誰かの部屋。

 

ジャズ その出来事は泊まり込みの民ちゃんのアパートだったかな?、その部屋で起きたこと。泊まっていたのは、ユキコ、ヌーボー、オオマサ、ヨー君等…他に誰がいたのかはっきりとした覚えはない。

 突然、チビ太が今からみんなでジャズをやろうと言い出した。フォークぐらいはギターでやれたが、ジャズは難しいイメージがあり、はじめ冗談だと思った。ところが、チビ太が机を手でタンタンタン、タンタンタン、タカタカタカタカ、タンタンタン と叩き始めた。ズーンチャチャ、ズーンチャチャと音を立てながら、隣にいたブッチャーに茶碗に箸でリズムを合わせて叩けと合図する。するとブッチャーがリズムに合わせて、チーン、チンチン、チキチキチーン、チーンチンチン、チキチキチーンと叩き始める。つられて、オオマサが座布団をバーンバンバン、ズババババン、バーンバンバン、ズババババンと叩くとユキコが皿を机に擦ってシューッ、チャッチャッ、シューッ、チャッチャと合わせ始める。

 音階の曲はない。ただ、リズムだけ合わせて気の利いたリズムを何でもいいから出して合わせるだけ。自分は近くにあった棒を2つ、カンカン、カカカン、カンカンカン、カンカン、カカカン、カンカンカンと出すとヌーボーが足でズンチャ、ズンズンチャ、ズンチャ、ズンズンチャ、それが延々と続いていく。リズムに乗って壁だろうが床だろうが目の前にあるもの、叩けるものをすべて叩いて順に楽器にしていく。5分ほど続けてもまだ即席ジャズは続き、どんどんみんな乗ってくる。10分ほど続けただろうか…チビ太がリードして顔で終わるぞと合図する…タンタンタンタン、タタタターーーーーン ジャーン! 最後に鍋ぶたを2つ合わせてジャーンと鳴らし全員一斉に演奏をピタリと止めた。メンバーから拍手が起こる。

 驚いた!他のメンバーも参加した参加したみんな驚いた!ジャズってこんなにかんたんに参加できて自分でもやれちゃうんだということに驚いた!チビ太のエンターテーメントの才能にもびっくりしたが、それまでとっつきにくかったジャズとは難しいものではなく、リズムさえ合えば誰でも参加できる音楽なんだと思い知らされた。これ以後、ジャズの音楽を聞くようになっていく。ジャズ演奏もやってみようかとその気にさせられた一コマであった。

28.人形劇フェスティバル

  • 2019.06.08 Saturday
  • 19:36

 年末の12月、人形劇フェスティバルが開催された。多くのサークルがお互いの人形劇を他大学の人に見てもらう。最初は短大生の作品が紹介されていく。こんなことをいうと叱られそうだが、学生生活の期間が2年ということもあって短大に劇の完成度は低い。それに対して、日福、名大、名城大などの演目はてのひらとは一味違った創りで見ごたえがある。中でもプロのむすび座の作品はみんな注目をし、やはりさすがという貫禄があった。てのひらの演目はすてきな三人組、多くの他学生たちから賞賛を浴び、むすび座の丹下さんからも絶賛された。

 

 その中に一風かわった劇団があった。構成人員は学生ではない社会人となった男女の2人だけ。演目は、つくばねの唄。構成要員が2人だけのため、ケコミも小さく人形も小さい。内容は江戸時代のつくばね(筑波地方)を旅する侍が女一人暮らしをしている粗末な庵に一晩の宿を所望するという異色の時代物であった。上段の舞台では行わず観客と同じフロアに台を置き、観客と同じ目線で話が進められていく。ところが人形が小さいがため観客の目は逆に小さな人形に集中した。手首に針金でしかけがあり、手を振るとくねくねと手首がいやらしく動く。内容は子供向けではなく、大人向けの少々エロティックな内容であったが、見るものを引きつけ学生たちの大笑いを誘った。

 

 人形劇にはこんな表現もあるのだとびっくりした。以前、日福大で見たような衝撃を覚えた。

1.人形劇はスタッフ、大道具、小道具、ブタ監など大人数が必要だと思っていたのだが、最少人数でも可能だということ

2.人形の作り方、素材、表現力は想像以上にたくさんあるのだということ

3.2人のパートナーで全国を講演活動で渡り歩いているという

 この作品を見たとき、自分は一つの夢を持った。「いつか、いつの日かこ2人のように持ち運べる人形劇一式を持ち、フーテンの寅さんのように全国津々浦々旅をしながら巡回公演が出来たらいいなぁ...」この夢は65才の今になっても未だに実現していない❗

 

 このフェスティバルの後でひょっこりひょうたん島を作ったひとみ座の人形劇論の本を読んだ。これも驚いた。

 人形劇をやるものの何人かは演劇を志したものがいる。演劇と人形劇と何が違うか? ひとみ座の考え方は、人形劇は”物体劇だ”という。極論すると人形は必ずしも人や動物の形を模する必要はない!例えばえんぴつ一本、筆箱一つ、それに、演じさせたい動きや声を与えればロケットのつもり、列車のつもり、人間のつもり、つもりの想像の世界でえんぴつがロケットにも列車にも人間にも表現することができる。つもりの世界が人形劇の本質だというのだ。

 本当に多くのことを考えさせられたフェスティバルであった。

29.三学期になって

  • 2019.06.09 Sunday
  • 15:44

 年が明けて、一月になっても相変わらずてのひらの部室に入り浸ってフォークギターなどひいてみんなと歌ったりして楽しんでいた。ところがその月の終わり頃、祖母と住んでいた倉庫へ突然親から呼び出しがあった。

父「どういうことだ。大学の学生課から連絡があったぞ!一日も講義に出てないっていうじゃないか!毎日何処へ行ってるんだ!」しこたま怒られ怒鳴られた。ついにバレたか!この親には、それ以前もそれ以後も自分の人生に色々迷惑や心配をかけることになり、いまもって頭が上がらない。

 

 翌日、教育大の学生課に行き、取り調べを受けることになる。そして、留年の通達、来年度からの受講の意思を聞かれた。一年間1日も講義に出席しなかったのである。当然と言えば当然の報いである。

 久しぶりにキャンパスを歩いているとかつての同僚が自分の顔を見つけて「やぁ、久しぶりだなぁ。珍しい奴がいる。生きとったのか?」懐かしいというより、珍しい生き物でも見るような顔をして話かけてきた。

 この大学は刈谷市の井ヶ谷という田園地帯にあった。この年の3年ほど前まで西三河の名古屋分校と東三河の岡崎分校に別れていたが、統合されて中間地点刈谷市に統合されてここに移転した。名古屋分校時代だったら南山と交流があったかもしれないが、この時代は、名古屋市の各大学とはほとんど交流がなく、孤立していた。

 帰りがけに一枚の白黒のポスターが貼ってあるのを見かけた。教育大の人形劇団「むう」の公演案内のポスターだった。

30.人形劇「杜子春」

  • 2019.06.10 Monday
  • 17:30

 教育大に掲示されていたポスタ―、人形劇団の公演は中区役所の市民ホールで行われると書いてあった。

 家で叱られた後も相変わらず南山に通っていたのだが、てのひらの部室でみんなとしゃべっていた後で公演の当日に中区役所に一人で見に行くことにする。

 

「杜子春」という芥川龍之介 原作の人形劇版だ。動作、人形の作り等は少々雑な感じがした。だがストーリーの後半、様相が一変する。原作は杜子春が母親の地獄での様子を見るに見かねて約束を破って声を出してしまい人間らしさに気づいてハッピーエンドで終わるはずなのだが、この劇で杜子春は母を助けるか迷ったあげく母に声かけせず我慢してしまう。母親は地獄に落ち杜子春は悲しい大金持ちになってしまう悲劇の物語で幕が降りる。

 人間の「さが」を考えさせられる大人向けの劇であった。当時は南山の人形劇と福祉大、名大などでなんとなく風潮が違うようにいろいろな考え方の文化のようなものがあった。児童文化に裏打ちされたもの、児童と離れて大人向けの人形を扱うもの(例えば文楽やパペットマメットなど)、政治色的な色合いを深めるもの、新しい表現を追い求める芸術的なもの…いろんな種類の劇があったということは、それだけそのときの劇の文化活動が各大学とも盛んであったといえる。

 

 後に知ることになるのだが、教育大の人形劇部は2つに別れていて、ひとつは児童文化研究会(民青といって政治的には少し左翼系で子供向けの人形劇)、もうひとつは人形劇団「むう」(子供だけにとどまらず、大人向けも含めた人形劇)。自分が南山に行っている間にいろんな騒動があり、ふたつの部に別れたという。

 

 見終わった後で、栄の歩道を歩きながら考えた「自分はこれからどうなるんだろう。このままみんなと一緒に南山で過ごすのか、やっぱりもとの大学にもどるのか…」

 心の空洞がまた広がり始め、吉田拓郎の”どうしてこんなに悲しいんだろう”の曲が浮かんできて、口ずさみながら家路についた。