11.初夏から夏へ

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 16:38

 てのひらの活動はどんどん忙しくなっていく。赤シャツは、いろんな自分の状況を忘れてあたかも完全な南山生、もっというと「てのひら」の完全実部員のように毎日活動に没頭していった。

 てのひらは、大学内だけでなく、他の大学の人形劇クラブとの交流もあり、人形劇フェスティバルや交流会、作品鑑賞会でお互いの人形劇を見せ合ったりしていた。名大、金城をはじめ、名古屋女子短大、名古屋文化短大など、女子大学が多かったが、中でも印象的に記憶にあるのは、すぐ隣にあった福祉大学。

 初めて福祉大に行ったとき、「なんて汚い校舎なんだーっ」とびっくりした。運動場が狭くて校舎がコンクリート丸出しの校舎で、夕方行っても二部学生がやってきて、夜でも講義が行われ、苦学生が多いって感じ。

 そこの人形劇を見させてもらうことになった。演技したのは福祉大の3年生くらいの…誰だったかな?先輩たちがあだ名で呼んで親しそうだったから調べればわかるかもしれない。

衝撃を受けた!…机に黒い敷物を敷きそれがケコミ、その上に鉄のボード板を立て、それに背景が描いてあってそこが舞台。数人で準備をし、一人で演技をする(バックの音は他の人がやってたかもしれない)。栗や臼やカニやサルの絵をボール紙に描き裏にはマグネットがついている。ペタペタと貼りながらキャラクターが動き、場面転換していく。セリフも関西弁でテンポよくしていく「さるかに合戦」のパロディー版。その話術が面白くて大笑いをしたのを覚えている。

 マグネットに描かれたキャラクターを磁石で貼って動かすことにより、登場人物が動き廻り、話術と登場のしかたで笑いと感動を見るものに与えていく。こんな人形劇もあるのだ!動きだけでなく、場面展開、登場のしかた、声、セリフの言い回し、それらを駆使すると、一人の演技でも見る人に物語の中に引き込んで感動を与えることができる。人形劇には限りない表現力と可能性があるんだと改めて関心したものだ。

 

 梅雨が半ば過ぎた6月の末、夏が近づいて夏休み中の巡回公演の計画と制作や準備が始まろうとしていた。制作には、デス、ワンタン、ビチ、くまちゃん、ながっちゃんも参加!1つの作品を制作するに、脚本から人形制作、大道具小道具作り、約一ヶ月くらいはかかる。

 行先は、渥美半島の赤羽根地方で、周りの小学校を5泊6日かけて順番に公演をして回っていくのだ。気持ちがワクワク、ソワソワし始めた。
 新しい人形劇を作るとき、資材が必要となる。ウレタン、布、木材、ダンボール。それらを手配するときに車が必要となることがある。家には1台軽の車があった。
ボロボロサンバー緑色のスバル・サンバー!4人乗りだが、後ろの座席を折りたたんで2人乗りにするとかなりの荷物が載る軽のワゴン車だ。父が中古の車をレンタル月額制で借りてもらっていた、保険付レンタルだった。何度も壁や電柱にこすり、床は穴が空きそうでボロボロだったのでボロボロ・サンバーと呼んでいたが、それでも重宝した。時々、それに乗って南山まで来て、北側の道路に止めて、資材運びに一役かっていたのだ。(左上の車は、当時の車と同機種)

12.恋の季節

  • 2019.05.23 Thursday
  • 17:30

 日夜、夏の巡回公演の準備にあたふたしていた7月初旬、チビ太とバケが急に仲がよくなり始めた。みんなで活動する場所でも、練習場所を変えて移動するときでもバケの肩をギュッと抱いてこれ見よがしに歩く。”かわいいバケを彼女にしちゃって……恋愛は自由だけどみんなの前ではちょっとやり過ぎだぁ” と半ば嫉妬、もう少し遠慮してくれぇ…なーんて思っていた。

 ハンとヨーコとスルメ。3人は仲良し3人娘で、いつもいっしょにいたがこの頃は、それぞれに行動しはじめる。それもそのはず、コンパや合宿、肝試しでスルメはアサノ氏とつきあい始めたからだ。ときどき、アサノ氏の車で送ってもらったりもしていたようだったが、ある日の夕方、帰宅しようとしたときバス停でスルメといっしょになった。

 

 なにげない話から、好きな音楽の話になった。自分は、どちらかというと激しいロックが好きだった。外国の多くのミュージシャンのレコードを持っていて、音楽の話をバスの中でいろいろした。その中でも特に好きだったのが、ジャニス・ジョプリン!

 そんな話をバスの中でスルメにしていると、スルメは「レオンラッセルって知ってる?私は彼がすごく好きなの!」

 名前は聞いたような…でも曲は聞いたことがなかったので「今度貸してくれるかい?聞いてみたい!」

 後日、レコードを借りることになった。借りるときに「キャットさんもいいよ。これもよかったら貸してあげる!」そう言って2枚のLPを借りることになった。

 

 家に帰って、レコードプレーヤーに針を落とした。すると…

 スピーカーから飛び出したレオンの声に衝撃を受けた!「こんな曲があったのか!するめはこんな曲を知ってたんだ!」…ものすごく渋い、渋すぎる…ソング フォー ユー  聞いてて震えがきた。他にもマスカレード、タイトロープ、デキシ―調のデルタレディー それまでに聞いたことのないタイプの曲が入っていた。スルメに影響され、レオンラッセルは今でも好きでずっと聞き続けている。

 キャットさんとはキャットスティーブンスのこと。ロックやフォークは詳しいつもりでいたがこれも知らなかった。中でも”父と子 Father & Son” 父親と息子が対峙し、諭しながら人生を語るというフォークソング調の感動の歌だ。

13.好きな音楽

  • 2019.05.24 Friday
  • 15:51

 ここで人形劇団てのひらの巡回公演のことから、少し脱線します!

 

 赤シャツは高校が男子校であった。近くに女子高があり、その女子高生は髪の長い子が多かった。女子高生への憧れか、髪の長い女の人の見ると後ろ姿だけでもドキリとするのはその時代からのくせ…

 するめは、髪が長くて後ろから見ると、スラッとしてて清楚なイメージがあった。昔のエメロンのシャンプーのコマーシャルソング「振り向ーかないで・・・の人〜!」ってあったと思うが、するめはそのイメージにピッタリ!(振り向いてしまって顔が・・・そう言いだすと怒られてしまいそうだが…)

 

 中学から高校にかけて洋楽がすごく好きで、多くのLPレコードを買って集めているいわゆる音楽マニアであった。ビートルズ、ローリングストーンズからはじまって、60年代から70年代後半までのロックの歴史に関してはかなり詳しいつもり。ジャニスジョプリン

 その中にあって、ジャニス ジョプリンは特に好きだった。彼女は高校時代、他の生徒たちと孤立しがちで大学も中退。ブルース系の曲に魅せられバンドを組み「サマータイム」「トライ」等を歌って、感情むき出しの激しいロックの歌手で男性ロッカー達を圧倒し急激に注目を集めていく。

 ジャニスのことを好きだったのは訳がある。それは、顔はともかくとして、長い髪!激しい中にある彼女の孤独感がたまらなかった。あまりに強烈だったため、恋人もできず孤独の中で突然27歳の若さで亡くなってしまう。亡くなる寸前に録音したのが「ミー & ボビーマギー」それまでの熱唱と打って変わってフォーク調の曲で、力を抜いた歌い方により逆に彼女の悲しさが伝わってくる。普通に聞いたらなんでもないような曲なのに、曲を聴く度にボクは何度も泣けてきた覚えがある。

 彼女が亡くなったとき、ボクは何を考えたか?「ボクがそばにいて彼女の恋人だったら、抱きしめて孤独を癒して助けてやれたのに…」

 アメリカのロックの猛女を抱いて癒すなんてとんでもない妄想をいだいていた。ボクは彼女に恋をしていた…

 

 突拍子もないと思われるだろうが、ボスとスルメにはジャニスを彷彿とさせて思い出させてくれる共通点がある。

 ボスはジャニスのようにふっくら太っちょのところ… スルメは髪がジャニスのようにストレートで髪が長かった… ただそれだけ!

14.いよいよ赤羽根へ

  • 2019.05.25 Saturday
  • 18:48

 大学は夏季休業、夏休みに入り、人形劇の作品もできあがり、いよいよ巡回公演の始まりだ。ケコミの骨組み、大道具、小道具、大き目の人形などは軽のボロボロサンバーに積み込むことができ、他のみんなは荷物や人形たちを小分けして手に持ち、電車・バスを乗り継いで出発。赤シャツはシオカラと交代運転で渥美半島の赤羽根に向かうことになる。サンバー

 なにしろ、軽のボロワゴン車なのでスピードが出ない。岡崎に入り、豊川、豊橋を通過して渥美半島。渥美に入ると急に風が運んでくる海の香りが感じられるようになる。目指すは赤羽根小学校!

 拠点となる小学校になんとか到着すると、皆はもう先に着いていて荷物の整理をしていた。赤羽根小学校はこじんまりとした小さな小学校だったが小ぶりの体育館があり、そこで翌日の公演が行われる予定。

 寝る場所は2階の教室を借り、みんなは寝袋やタオルケットで包まって夜を過ごす。

 さっそく、小体育館で、翌日の舞台づくりと準備がはじまる。この学校を拠点に、順次周辺の小学校に公演に行って帰ってくるという5泊6日の合宿集団生活がはじまることになる。

 

 いろんな準備をしていると、この学校の子供たちが、めずらしそうに恐る恐る集まってくる。荷物を運んでいると3人くらいの子がそっと後をついてきた。急に後ろを振り返って、ワッ!と言って脅かしてやると全員くもの子を散らすように逃げていく。「怪獣だぞぉー」と追いかけて遊んでやると、子供たちはキャーキャー言いながら笑って逃げ回る。

 そんなとき、ボスが体育館の方から「赤シャツーっ! 遊んでないでケコミ組み立てるの手伝ってよー!」と大きな声。子供たちは、「赤シャツだって!」と言って笑った。それ以後、ここの子供たちからも赤シャツ、赤シャツと呼ばれるようになってしまう。

 

 一通りの準備が終わると遊んでた子供たちに「近くに海あるだろ?連れてってくれない?」と頼むと、3人の子が案内役を引き受けてくれた。ユキコとシオカラ、バケとながっちゃんに呼びかけて、みんなで海の方に行くことにした。

 校門を出て、県道を渡ると細い道があった。両側は笹と背の高いススキで覆われて視界悪かったが、100mくらい歩くと草で覆われていた視界が急に開けた!

 そこには、ものすごく広い海とどこまでも続く砂浜、そして都会では見たこともない大きな青空があった。巡回公演、第一日目の赤い夕陽が赤羽根の海に沈もうとしていた!

15.巡回公演の日々

  • 2019.05.26 Sunday
  • 19:35

 渥美半島の海岸線はまっすぐで長い。同じ海でも、渥美の海はスケールの大きさでレベルが違う。そこはまさに太平洋だからだ。押し寄せる波の高さもすごく、迫力があった。今では、サーファーたちが押し寄せるサーフィンのメッカになったが、この頃は人っ子ひとりいなかった。この巡回公演中、大自然のとなりにいて、ワクワクのしっぱなしだった。

 翌朝、ラジオ体操の音楽と子供たちの声で眼を覚ました。夏休み中の子供たちがラジオ体操をしに毎朝7時になると学校に集まってくるのだ。子供たちといっしょにラジオ体操をして、すぐに朝食、そして10時から始まる人形劇公演の準備にとりかかる。

 ところが、初日の公演が10時に間に合わなかった。慣れないので、朝食の準備に時間がかかりすぎたうえ、朝から昨日の子供たちが遊びに来て赤シャツとじゃれあっていたため、準備が遅れた。地元の小学生たちが楽しみにどんどん集まってくる。けれども、劇の準備がまだ済んでいない。急遽、チビタが即興で子供たちの目をそらすため、劇に使わない人形で時間を稼いだ。

 なんとか準備が終わり、15分遅れで劇は始まった。赤羽根の田舎の子供たちは、純朴で目を輝かせながらてのひらの人形劇に見入っていった。

 

 巡回公演の合宿生活というのは、想像以上に忙しかった。朝起きるとすぐ、ラジオ体操。そして朝食準備、学校を移動して公演、終わって帰ってくると翌日の講演の準備、反省会、そして翌日の食事の買出しと調理準備、寝るところを整えて就寝。

 巡回公演で拠点が学校というのは便利がいいもので、家庭科調理室があって、大きな鍋も炊飯器もフライパンもある。ただ、自分で調理するということができるかどうかだが、こんなときは下宿組が大活躍。みんなで交代で自炊となる。地元のお店にママやベー、ハンが買出しに行き材料を買ってくる。調理は意外にアシュラがジャガイモを使った料理がうまかった。初日の夕食は、おきまりのカレー。何てもぶち込んで煮て、ルーを入れれば出来上がりだからだ。

 

 午後、翌日の公演の準備が終わって、人形の準備で腰を降ろして屈んでいると、後ろからお尻をツンツンされる。振り返ると、昨日遊んだ子供のひとりが「カンチョー!」と言って笑っている。その子達がさらに友達を大勢連れてきて遊びに来ていたのだ。

「このーっ!」と追いかけると、赤シャツ、赤シャツとはやし立てて逃げ回る。遊んで欲しいんだなと思い、転げ回るように遊んだ。ユキコやアシュラ、ヨーコやくまちゃん、ビチも仲間に入れてみんなで遊びまわった。

 2日目の夕陽が広い海に沈んでいった。

 

16.最後の夜 その1

  • 2019.05.27 Monday
  • 17:50

 赤羽根町内の小学校、若戸小とか伊良湖岬小などを次々と回った。どこも、片田舎の小さな小学校ばかり。戻ってくると、すぐお昼ご飯、夕ご飯の準備、反省会、次の日の公演の準備、お風呂…あぁッ、お風呂は無かった。暑い夏のことである。1日終わると汗だくになる。

 そうそう、プールのシャワー室を使って交代で浴びていた。ある日、男子のシャワー室で浴びていると隣の女子のシャワー室から、音が…。チビ太が「おい、隣で音が聞こえる。誰が浴びてるのかなぁ。ヌーボー背が高いから覗けるだろう?」と冗談を言った。ヌーボーは、そのときもボーッとしていてがいて全然その気がない。シオカラがフルチンで「やってみる!」と言ったかと思うと台のような物を置いて女子のシャワー室を覗こうとした。そのとき、ガシャーン!台が滑って転んだのだ。女子シャワー室からは、キャーッと声があがった。

 

 午後になると決まって、子供たちが遊びにやってくる。姿が見えないと近くの部員に…「赤シャツいるぅー?どこにいる?」

 それまで、自分は女性にもてたことはなかった。けれども、赤羽根の子供達にはなぜかもてた。高学年の子から、1.2年生まで、男の子・女の子問わず、追っかけられて遊んでいた。

 

 すべての公演を終え、明日帰るという日の夕方、花火を買ってきてみんなで楽しむことになった。花火に火をつけ、キャーキャー言いながら校庭で騒いでいた。ヨー君もボスもマキコも、シオカラもアシュラもユキコも、ハンもスルメもバケもみんな笑って、赤羽根の最後の夜を楽しんでいた。赤羽根の最後の夜は楽しいものになるはずであった。ところが…

 

 その後、思ってもいない事件が起こることになる! 

17.最後の夜 その2

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 15:39

 花火を終えた後、校舎2階の教室の机を片づけて、この巡回公演全体の反省会を行った。

 主幹のヨー君が「なかなか、楽しい巡回公演でした。今後のためにいろいろ反省と意見を言って欲しい」と言って始まった。いろいろな反省がなされる中で、上級生の方からは初日から新入生たちの不慣れで公演が遅れたことが問題とされた。赤羽根の子供たちと遊び過ぎて、時間にルーズになったり、買出、調理、公演準備、片づけの役割分担もできず、お互いの役割を助合いがいい加減になっていた。そのとき、上級生の誰だったか、こっちに顔を向けて「子供と遊ぶのもいいけど、人形劇団なんだから、遅れてる仲間の仕事も手伝ったりしなきゃ。それじゃ部外者みたいだよ」

 上級生に悪気があったわけではない。けれど、部外者という言葉が忘れていた自分の身上を呼び起こさせた。ここから、反省会が異様な様相を呈していく。アシュラやユキコが、自分のことをかばってくれるように言った「子供たちと交流するのも人形劇の一環じゃないの?」

 それから人形劇のあり方について、巡回公演のあり方について、上級生新入生関係なく、喧々諤々の議論が巻き起こっていくのである。

 

 自分のほうは、もうどうでもよかった。今の自分の立場から、心の中で、"部外者…部外者…部外者…" 言葉だけがリフレインする。自分は偽者の部外者...その場にいられなくなって、青ざめた顔をして教室を一人外にそっと出て行く。ヌーボーとスルメが心配そうな顔をして見つめてくれていたのを覚えている。 

 

 学校を抜け出して細い夜道を抜けて、ひとり海の方に向かった。昼の明るい青い海と違い、夜の暗い暗い荒々しい白と黒の恐ろしいような海である。大海原に、黒い波が大きく被ってきて、足元に寄せては引いていく。"自分は何でここにいるんだろう?自分は今、何をやってるんだ!"

 ・・・時間が立って心が落ち着ついてきたので学校に戻ることにした。学校の二階の教室では、あかあかと明かりが灯り、議論の声がまだ響いていたが、さすがにそこには戻れない。一階の教室の片隅で、机の下に隠れるようにして大の字に寝転んだ。

 

 二階の教室では、何のために人形劇をしているのか、子供を喜ばせるためか、児童文化か、自分達の表現のためか、はてまた子供だけじゃなく大人も楽しめる人形劇を目指すんだとか、今後のてのひらの方向性を見出すような話合いがされていた。(今後の児童文化活動に非常に重要な議論だったと聞いています)

 反省会では赤シャツが出ていって帰ってこないのを心配し、大騒ぎとなって、近隣を探そうということになった。みんな懐中電灯を持って、暗い運動場、校舎周り、学校周辺、海の方までも探しに行ってくれた。行方不明者発生!しかし、捜索すれども見つからない!

 このとき実は、みんなが探してくれているの様子を校舎内の片隅で知っていた。窓のスリガラスに探す懐中電灯の明かりがチラチラと当たり、捜索する声が聞こえてくる。校舎内のこの教室にもやってきて懐中電灯で教室をさぐられたが、教室の隅に集められた机の下にいたので見つからない。みんなに心配させて悪いとは思ったが、もちろん出て行く気にはなれない。じっと天井を見つめ、自分の存在の孤独さと戦い、自分はこんなところで何やってるんだ!と再び自問自答を繰り返しながら、朝まで眠れぬ夜を過ごした。

18.さらば赤羽根

  • 2019.05.29 Wednesday
  • 14:03

 翌朝、てのひらのみんなと顔を合わせると、ボスがものすごい顔をして「赤シャツ、どこっ行ってたの!」と言って怒られた。

 みんなからも「よかったぁ、無事で…。海の波にさらわれたかと思ったよ」とか、「心配してたんだよ。みんなで探しまわったんだよー!」そう言ってくれるが、どんな表情をして応えていいのかわからない。泣き笑いのような顔をしていると、マキコから「ダメじゃないの、みんなに心配かけて!」そう言って、頭をパコーンと叩かれた。

 

 すべての荷物を片付け、重いケコミなどは、骨組みを折りたたんで、再び緑のボロボロサンバーに乗せた。

 学校の先生にお礼に行く。当時は、昼間は日直の先生はいるのだが、夜は近くに用務員さんが学校近くに住んでて、それで先生の宿直はなくなっていた。用務員さんから先生の方に昨日の行方不明騒動が伝えられていたのかどうかわからないが、次のようなことを言われた。

「ここの用務員さんも、来年度はいなくなります。用務員さんがいたので、学校での宿泊は許可されてきましたが、来年度からは宿泊は許可がおりるかどうか…」

 学校というところは、少しでも騒動があると閉じてしまうことがある。騒動を起こして申し訳ない気持ちでいっぱいになった。てのひらは、数年間、この赤羽根の地で巡回公演を行ってきたらしいのだが、翌年からは長野の志賀高原、山之内町に移ることになる。

 

 巡回公演の途中からアサノ氏が普通車に乗って応援に駆けつけてくれていた。電車組と自動車組に分かれて名古屋に戻る。サンバー

 帰り道、行きと同じようにシオカラとサンバーを運転しながら帰ることになる。シオカラが、急に無口になってしまった赤シャツの横顔を見ながら、ポツリと言った。

「このサークルも夏が終ると辞めていくものが出てくるかもしれないなぁ…」

 そうかなぁと思いながら、シオカラの言葉に応えず無言で運転を続けた。

 ふいに吉田拓郎の”祭りあと”という曲が口から出た。

"祭りのあとの寂しさがぁ〜、いやでもやってくるのなら〜、祭りのあとの淋しさは〜っ、例えば女で紛らわし〜っ、もーぉ帰ろう、もう帰ってしまおう、今宵の酒を・・・飲む〜ぅまでは〜っ"

 紛らわす彼女もいない赤シャツとシオカラは、最初は口ずさむだけだったのが、だんだん大きな声になり、声を張り上げて歌いながら東名高速を走った。軽なのにアクセルめいっぱい踏んでスピードを出し、勢いあまって東名高速の出口を名古屋ICで出ればいいものを間違えて、次の出口の守山ICまで行ってしまった。

19.暑い暑い夏の日の我慢大会

  • 2019.05.30 Thursday
  • 14:09

 巡回公演も終ると気が抜けたような日々を過ごしていた。家にいてもつまらないのでてのひらの部室に行くことにした。夏休みにもかかわらす、部室には相変らず、ヌーボー、オオマサ、岩さん、ヨー君やユキコいたかなぁ?…男子部員ばかり何人かたむろしていた。すると、ブッチャーとチビ太に部室の外に呼び出される。

「夏休み中にある計画があるんだ。赤シャツもそれに加わらないか?その計画のために今から民子のところに行く!」チビ太は上級生でも呼び捨てでいう。もっとも呼び捨ては民ちゃんだけじゃなくて、自分だってマキコだなんて呼び捨てで言ってたから人のことは言えないのだが…

 

 暑い暑い夏の日のことである。民ちゃんの住んでたところは、南山から歩いて行ける距離にあり、アパートの一階だったように思う。ぞろぞろと男子たちが民ちゃんの部屋に入るやいなや、その計画の詳細はそっちのけ。

「みんなで暑い奄美大島へ行こうと計画している。今から暑さに耐えれる訓練を行う!今から暑さ我慢大会を始めるーっ!」チビ太がそう宣言し、しまってあった毛布や冬用の布団を引きつりだした。雨戸を締め窓のサッシも締め切って部屋を完全密封。狭いワンルームのアパートに民ちゃんも含め、むさくるしい男たちが7・8人もいるのだ。その段階でもう息苦しくなってきた。さらに、押入れの奥にやぐら炬燵、火鉢や炭もあったような…冬の装備を全部出してきた。毛布にくるまる者、布団にくるまる者、服は民ちゃんの冬用のハンテンや古着まで持ち出して各自どんどん重ね着した。

「いいか、絶対暑いと言わない!暑いと言ったら即・退場!最後まで生き残るのだ。最後まで我慢して生き残ったものが優勝!」もう、すでに部屋はむんむんし始めている。

 やぐら炬燵にスイッチが入れられ、炬燵あんかまで引っ張り出されて抱きかかえさせられた。水はどれだけ飲んでもよい。但し、熱いお茶か熱いお湯!汗が噴出し始めた。息がはぁはぁする…

 もともと自分は寒さには弱いが暑さに強い方で夏でも長袖の赤シャツを着て袖をまくっていたくらいだったが、それにしても”暑い!…あっ暑いという言葉は言ってはいけない!(心の中の声…)” みんなヤセ我慢を言い出していた。

 

「いやぁ、なんてことはないよ。涼しいくらいだぁぜー…」「オレ、寒くなってきたぁーっ」うそつけーっ!額に汗をにじませて、あごから汗がポタポタと落としてるくせに…。けれど、意地で弱音を吐くものは一人もいない。1時間たっても落伍者なし。みんなじーっと我慢強くこの部屋に残っていようとする。熱いお茶を飲みながら「このお茶、もう冷めてるじゃないかぁ」「冷たいんじゃないの、まぁいっぱい飲めや、オヤジ!」そう冗談言いながら熱いお茶をすすって時間が過ぎていく。

 あまりに暑くて死にそうなので、ブッチャーがうちわを持ち出してきて、パタパタパタ、パタパタパタ。熱風がくるだけで、いっこうに涼しくならない。そのうちに「よーし、じゃあ腕立て伏せ10回!」内心ひぇーーっ!と思ったが一人やりだすとみんな続いてやる。汗がポタポタと床や座布団に落ちた。のどが渇けば熱いお茶やお湯が待っている。身体がさらに熱くなる。シャツやズボンがズクズクになってくる。

「よーし、それでは腹筋だ!用意して…いーち、にーぃ、さーん…」ズボンやシャツ、パンツまでズクズクになってくるのがわかる。ジリジリしてきて2時間ほどすると、とうとう言いだしっぺのチビ太が「オレ、もうだめーっ」と言って、ドアを開けて外へ飛び出した。それに続くようにみんな外へ飛び出していった。

 外の空気は新鮮だった。夕方の風が吹き始めていて、死にそうだった身体が生き返っていく。みんなほぼ同時に外へ出たが最後に部屋を出たのは赤シャツだった。優勝商品は自動販売機からのトマトの缶ジュース。あーーっ、身体に浸みわたっていく〜っ、少し塩加減の加わった冷たいトマトジュースの味で身体が生き返っていくのがわかる。「トマトジュースってこんなにうまかったっけ?」というのが優勝者のコメントだった。

 

 汗びしょで濡れてしまった布団や寝具、毛布等を後始末をする民ちゃんがうらめしそうな顔をして、呆然としていたのを思い出した。(民ちゃん、ごめんね!)

20.奄美大島へ

  • 2019.05.31 Friday
  • 16:43

 どうしてこんな無謀な計画がなされたのか、いつから計画があったのか、てのひらのみんなに知らされていたのかよくわからない。記憶にあるのは、どうもブッチャーとチビ太が計画の首謀者だったということだけだった。

 ブッチャーは奄美大島出身で、どうしても人形劇で故郷に錦を飾りたかった。それで、行くことができそうなメンバーに声をかけて極秘のうちに進められた。

 参加したのは、ヨー君、ユキコ、岩さん、赤シャツ、オオマサ、ヌーボー、チビ太にブッチャー・・・そして紅一点、マキコがいた。最初にこの計画の行先を知ったのは、民ちゃんのアパートでの我慢大会。そして、赤羽根巡回公演以後、着々と準備がなされていった。ブッチャーは地元の小学校や宿泊地などの事前折衝と交通関連を延々と一人で準備を行った。たいしたものである。

 

 なんやかんや準備が整い、その夏の8月盆前、とうとう出発の日を迎えることとなる。当時、山陽新幹線は開通しておらず岡山から博多まで通っていなかった。それに、メンバーはほとんど金欠病なので、名古屋からは夜行列車を乗り継いで行くことになる。

 名古屋から、大阪、神戸、岡山、広島、下関へと列車はひた走る。朝方、九州博多に到着。そこから列車を乗り継ぎ、九州を南に下ってほぼ一日かけて鹿児島へ。うんざりするほど、長い列車旅。座ってばかりで、お尻が痛くなった。

 夕方5時鹿児島へ到着、ここから奄美大島へいくフェリーに乗る予定。ところが重大なトラブル発生!

 台風が接近中だということだ。鹿児島の港フェリー乗り場まで来ながら、フェリーの欠航を知ることになる。ブッチャーは天を仰ぎ、みな途方にくれた。ここで引き返すわけにはいかない!

  岩さんの親しい友人の実家が鹿児島にあるということで、連絡を取ってもらうことにする。急な話なのによく受け入れてくれたものだ。岩さんの友達の実家に10名ほどの学生が泊れることになった。地獄に仏とはこのこと。

 この家の居間でテレビの天気予報を食い入るようにみんなで見た。このときほど、天気予報をしっかり見たことはなかった。

 

 丸一日遅れて翌日の夕方、フェリーは奄美大島に出発することになる。