5.練習・キャンパス生活

  • 2019.05.16 Thursday
  • 22:58

 いよいよ、新人たちの能力が試される新しい人形劇の作成がはじまった。

 ひとつの作品を作るには多くの裏方が必要だ。ブタカン、照明、脚本、人形制作、バックの背景、ケコミ作り。ブタカン? 初めは、ブタカンがブタの缶のことだと思い、「ぶた監」が何をするのか、言葉の意味がわからなかった。

 一番最初にやったのは、魚の父ちゃん役。魚の子どもが飛び出して、父に助けを呼ぶ。そのときの自分の台詞が魚の父が「なんだ、なんだ、どうしたんだい、坊や!」ただそれだけのセリフ。出番もそれだけ!魚の坊や役は、かわいいとん平だった。

 私は、その頃、声が若くて高かった。父ちゃんなので、声は太く、大きく出さなければと思うのだが、大きな声で出そうと思うと声がさらに高くなり、何度やってもうまく父ちゃんの雰囲気が出ない。何度も何度も声を出して練習するうちに声をからして出なくなってしまった。難しいものだなと改めて思うのであった。

 

 南山は遠くの他県から出てきて、下宿している者が多かった。阿修羅もベーもブッチャーも。ブッチャーなんかは出身が奄美大島、ベーは福島県、とん平は鹿児島からでみんながんばっていた。

 最初、ブッチャーの顔を見たときの印象は、怖い顔!まさにプロレスのアブドラ・ブッチャー!ぼくとつで無口だったのでどう話していいか、どうつき合ってわからなかった。イスパニア語を勉強していて、アルバイトにどこかの会社の社長の家庭教師をやっていると聞いた。すごいなと感心した覚えがある。ブッチャーは顔とは全然別で、とてつもなく優しくて頼りになり、想いやりのある人物であった。当時、「燃えよドラゴン」のブルースリーがおおはやり。髪型がブルースリーに似せるて痩せさせればそう見えるかも!

 そのブッチャーと仲がよかったのがチビタ。2人の性格は全く正反対。チビタは本当に芸達者であり、物まねが得意だった。人形を持たせるとまるで人形に精気がみなぎるよう。後年、むすび座の丹下さんを慕って、むすび座に入り人形劇のプロとして活躍をしたと聞いている。

 部室は、学生たちの逃げ場所。さぼっても休憩でも狭い部室にたむろした。

 

 自分は南山だけではなく、名大の講義にも出かけていた。しかし、経営経済の講義は何度聴いてもピンとこない。今思うと、教授たちも本当は社会や経済の本質のことがわかっておらず、理論だけ振りかざしていたのでは?

 愛教大の教授で唯一よかった講義は"大屋"という名の教授。毎回の授業がとてつもなく、漫才のように面白く笑いに満ちていた。

 当時は、ソ連と米国が対峙し、いつ核戦争が起こるかわからない不穏な時代。資本主義と社会主義の成り立ちから、今後どうなるというガルブレイスという経済学者の予言の本の紹介をしてくれた。資本主義は修正資本主義といって社会主義的な公益を手法を取り入れ、社会主義は修正社会主義として資本主義的な手法を取り入れ、気がつくと世界は資本主義も社会主義もなくなってしまうという理論であった。そのときは、まさか、ソ連・東欧が崩壊し、中国が資本主義的手法を取り入れ、アメリカと対峙するようになるとは・・・当時は夢にも思わなかった。

 

 あるとき、3回生が受けるべき講義室で講義を受けているとそこでアサノ氏と鉢合わせした。

「あれ?何で赤シャツ、この講義出てるの?」

ドキリとした。チャカして、「ちょっと興味があったからね。気晴らしに出てみただけだよーっ」

 そういったものの一回生が三回生の講義にわざわざ出るなんてといぶかしがられる。アサノ氏は経営学科だったのである。ニアミスに自分のことがばれるかもしれないと思い、頭から血の気が引いて、また、冷や汗が出た。

コメント
コメントする