D1.あっと思ったらもう…

  • 2019.10.01 Tuesday
  • 15:34

JUGEMテーマ:病院へGO!!

 

 教師になって3年が経っていた。結婚もし、子どもも生まれていた。暑い夏が過ぎ、夏休みが終わって9月の初め島で仕事が終わった後で家に帰ろうと師崎から車を走らせていた。急にのどが渇いてきて、反対車線にあった自動販売機が見えたので車を道の左端に止めた。

 道を渡って缶ジュースを買い、止めた車の端でジュースをゴクゴクと飲んでいた。飲み終わった後、”あっしまった、缶を捨てなくちゃ!”と思い、再び自動販売機のごみ箱に向かって道を渡ろうとした。

 

 ドカーンと大きな音がしたかと思うといきなり目の前が暗くなった。うっすらとした意識の奥で、人のざわめきと救急車の音・・・「しまった!事故しちゃったか?」そこまではなんとか理解できたが後は記憶が薄れていく。

 

 何やら救急病院に運ばれてベッドの上に乗せられているらしい。2人くらいの看護婦の声が遠くに聞こえるが体は全く動かない。

「いやぁ、早く帰ろうと思ってたらこの患者運び込まれちゃって、帰れなくなっちゃったよ!」

「事故だったみたい。どんな傷かなぁ(うつ伏せにさせて服を脱がせて…)いやぁ、きたない傷!傷口にか自動車の割れたガラスがめりこんでるよ!」

「どうするの?この傷・・・どうせ意識ないから、たわしでこすっちゃおうか…」

 

 内心、やめてくれーーーっと叫びたかったが、体は動かず声は出ない。医師がやってきて、まぶたを開いてペンライトで瞳孔のチェックをする。「あぁー瞳孔がひらいとる。こりゃもうあかんな。腕の傷がひどいから縫っておこうか?意識がないから麻酔なし!」

 ”ええーーっ、やめてくれぇーっ”叫びだしたかったがどうにもできない。

腕の傷を消毒して縫合し始めた。ブチブチブチと針が皮膚を縫う感触が脳に伝わる。腕が焼けるように痛く体がピクンピクンと動いてしまう。それを医師が見て…

「あれ?この患者、反応するねぇ、痛み感じるのかな?これなら一晩くらいはもつかな?」

 ベッドに横たわりながらも、ひどい医者と看護婦だなぁと思った。家族には、脳内出血で今夜が峠だと伝えられた。

 

 事故は道を渡ろうとして自分の車の陰になり、後から走ってきた軽トラにはね上げられ10mほど飛ばされて道にたたきつけられた。軽トラはそのまま走り、自分の体の上にトラックのタイヤが乗り、救急車が来る前に近所の人がトラックを持ち上げ引きずり出したという。トラックは人の形にへこんでしまって、窓カラスが飛び散りその上に自分の体がたたきつけられたという。

D2.第一の病院

  • 2019.12.11 Wednesday
  • 19:41

JUGEMテーマ:病院へGO!!

 

 家族が病室に集まってきた。みんな悲壮な顔をして個室の私のベッドを囲み座っている。

 私は、服が車の衝突でボロボロになったので全部脱がされ、上にタオルケット1枚かけられ、顔に鳥かごのようなものを置かれてそこに黒い布のようなものを被せられていた。病院の院長が光などの刺激を目に与えるとよくないということで被せられていたのである。

 自分にははっきりとした意識があった。”事故にあったんだ。身体中が熱く全身が痛い。死ななかったけど…幽体離脱はしなかったんだ…”

 せっかく瀕死の事故にあったんだ、幽体離脱くらいしてみたかったなぁ…などと不埒なことを考えていたのだが、意識はあっても身体のどこも動かすことはできない。ただ、少しずつ小声で話をすることだけはできた。

「今夜、一晩持つのかなぁ」「先生の話では脳内出血とのことだ」親たち家族の心配している話が耳元に聞こえてくる。家内が心配してやってきたときに、”ここの医者、やぶ医者だぞ…”とそんなことを家族に伝えた。

 

 事故の翌日、親戚のおじさんが見舞いに来てくれて部屋のドアを開けた。そこに白いタオルケットがかけられて、黒い布を顔に被せられてベッドに横たわる私の姿を見て、「遅かったか、ナンマイダブ、ナンマイダブ」と言い出したのを聞いてベッドの上で失笑してしまった。家族は、まだ生きているよととりなしてくれたが、そりゃあこんな姿を見せられたらお陀仏だったと勘違いしてもしかたがないと自分でも思った。

 

 父が脳内出血ということを調べてきてくれて、それならばすぐに手術をしなければ血が固まって半身不随になってしまう。院長に相談すると、

「命が助かったんだから、ありがたいと思いなさい。6日後に脳外の先生がくるからそれまで待ちなさい」

 この病院は、私立の外科病院ではあるが脳外科の先生がいなかった。1週間に一度、脳外の先生が中京大学からやってくるのでそれまで手術ができないとのこと。何度も私のそばにきて、このままこの病院でいいのかと自問自答していた。

 

 時おり私を見つめて、「目は見えるか?」と問われる。”正面は見えるが端が薄暗く見える” そういうとそれが院長に伝わり、「そらみろ。視野狭窄だ」と院長はますます自分の診断に自信を深めた。

 

 それから、毎日足首辺りに痛い注射を打たれた。脳内出血を止める1本1万円もする止血剤だった(後の請求書を見てわかったことだが…)

 院長命令で、「頭を冷やしなさい」ということで病院の近くの氷屋さんに駆け込んで氷を買い、氷を砕いて氷嚢や氷枕に入れ何度も取り換えた。1日に1回、看護婦にグィっと横向きにされて、ガラス片で擦り傷になった背中の傷のガーゼを取り換えさせられた。

 メリメリメリ〜

 痛いのなんのって、背中の傷の皮膚を引きはがされるような痛みで、ウゥゥゥゥ〜 とうなってしまう。ガーゼ取替時間が来て、看護婦の足音がしてくると身震いするほどの恐怖を覚えたものだ。

D3.病院脱出

  • 2019.12.19 Thursday
  • 20:24

JUGEMテーマ:病院へGO!!

 

 父が、地元の病院の知人の先生に掛け合って情報を集めてくれた。

「脳内出血なら、すぐ手術して血を取り除かなければ…。何日も後では取り返しのつかないことになってしまう。但し、他の病院に入ってしまったのなら私たちからこちらに来なさいと要請はできない!」

 

 それを聞いた父はさっそく、現在の病院長に掛け合った。「ここで手術ができないなら手術ができる病院に移動させたい」

病院長は、「命を助けたのは我が病院だ。せっかく命が助かったのに、ここで移動させたら死んでしまうかもしれないぞ!許可できん!」

 父は憤慨してベッドに横たわる私のところにきて、「どう思う。ここにいて一生半身不随になるくらいなら移動した方がいいんじゃないか?」と相談してきた。私は「どっちがいいかわからないけど、ここの医者、やぶ医者だからなぁ…」と言った。どうして、この病院に来たかというと日間賀島から一番近い救急病院はここで、救急車は指示する意思がなければ、近くて受け入れてくれる病院に運ぶシステムになっていたのだ。

 

 さてそれからが、病院長と父とのバトルだった。

父 「手術できる病院に移転させたい」

院長「だめだ。死んでしまう。許可できない」

父 「こっちが移転したいと言ってるんだ。なぜできない!」

院長「この恩知らずが!勝手にしろ!もう責任取れない。わしゃ、もう知らん!」

 

 事故があって5日目、いよいよ決行の時が来た。

 病院は移転に反対で一切手をかさないので担架すらない。おじさんが大工で、戸板を作って用意してくれ、病室に運び込まれた。ナースはとりあえず点滴だけは外してくれた。戸板に載せられて4隅を親戚の男子たちが担いで病室を出ると他の入院患者たちが、「この近代に戸板なんて何事が起きたのか」と全員こちらを見つめていた。

 正面玄関からは出させてもらえず、裏口の3階の非常扉と階段から病院を脱出。外へ出ると大粒の雨が降ってきてほほに当たった。折しもカミナリまで鳴り出す始末。

 

 車は妹婿が明日廃車にする予定だったというワゴン車を用意してくれた。車に乗ると頭首を押さえつけられた。「頭が揺れるといけないからねぇ」母がしっかりと抱かえてくれた。

 

 やっとのことで、隣の市の市民病院へ到着。救急窓口に行くと受付が「救急車なしに来たのか?無茶するな。…何?向こうの病院長の許可なしに来たって?それじゃあ受け付けられない」

そうは言っても来てしまったものは仕方がない。しぶしぶ受付けてもらうことになる。

 

 その後、この病院の医師の診断では脳内出血は間違いで頚髄損傷であったとのこと。最初の病院の医者の診断に誤りがあり、治療方法が180度変わることになる。前の病院の治療方法はすべて間違いであり、かえって症状を悪化させるものばかりであった。

 何のための痛いガーゼ交換であり、何のための鳥かごであり、何のための1万円の注射であり、何のための氷嚢交換であったのか!すべては無駄であった。病院と氷屋さんがつるんでいるとしか思えなかった!

D4.新たなる病院

  • 2019.12.19 Thursday
  • 21:08

JUGEMテーマ:病院へGO!!

 

 新しい病院に転院できて、やっと一息つけた。なんとか命をつなぎとめれたとホッとしたのだった。

 その病院では治療方法が180度違った。とにかく首を動かすな!ベッドに寝ていると頭の両脇に砂袋のような重しを設置され動けなくされた。氷屋と縁が切れたし、痛くて高い注射もなくなったし、体を裏返しされてねじ曲げられ、背中の傷のガーゼを取り換えることもなくなった。それらはすべて治癒の逆効果だったのだ。


 最初の1週間くらいはそれでよかった。しかし、一切首を動かすなというのは逆に辛くなってくる。人間、動きたいように身体ができているのだ。一切動かないでじっとしていると背中が蒸れて床擦れが起きてくる。動かせるのは口だけであった。

 

 一番困ったのは、背中のかゆみ!ゆっくりと傷が癒えて、かさぶたができ、初秋ではあったが動かないでいると背中が蒸れて痒くなってくる。

 夜中になると気が狂うようにかゆくなって、眠れない。

 痛いのは、痛ーい、痛ーいと声を出せばなんとか気が紛れるが、かゆいのはどうにも我慢できない。「かゆーい、かゆーい」と言っても癒されない。夜、付き添いをしてもらうと頼んで背中を掻いてもらおうとする。しかし本当に痒いところに手が届かない。何よりも苦しく、これが地獄の苦しみであった。

 

 1ヶ月ほどして、だんだん治癒してくると大部屋に移され、見習い看護婦(当時は看護師とは言わない)がついてくれた。18才の看護学校へ通っている小柄な子で、手足を一切動かせない私の身辺の世話をしてくれる。

 2週間ほどしてまた別の21才のきれいな看護婦が自分に専属でついてくれる。その子が体を拭いたり食事をさせてくれる。

 また、しばらくすると別の新しい看護婦が専属で附いてくれる。食事の世話から頭を洗う世話、身体を拭く世話等…。手や足の伸びた爪まで切ってくれる。同室の他の患者さんから羨ましそうに見られる。

 髪の毛が伸びたので看護婦に切りましょうか?と言われ切ってもらうことにした。うちの家内が見舞いにやって来て「髪の毛までしてもらうなんて..なんであなたばかり世話をされてるのよーっ!」と嫉妬して怒り出した。

 

 不思議に思って4人目の専属看護婦に、他にも患者がいるのにどうして私ばかり専属看護士がつくのかと聞いてみた。4人目の看護婦が内緒だけれどと内実を教えてくれた。

「私たちは見習いなので練習で患者のカルテを見て専属患者を選ぶことができるの。あまり病状が難しそうな患者や気難しそうな患者は避けて、お世話しやすそうな患者さんを選ぶことができる。山本さんは、年齢が若いし、頚椎損傷で重症なんだけれどどんどん容態は良くなってきてるからお世話しやすいのよ。話も合いそうだしね…」と笑って明かしてくれた。

 何だか、病院でハーレムにいるような気分になったものだった。

D5.その後の経過

  • 2020.01.18 Saturday
  • 15:48

 頸髄損傷は絶対体を動を治療の絶対方針であったが、一ヶ月半も動かないでいると体の筋肉も衰え、血液循環もおかしくなる。身体を元に戻すためにリハビリに入ることになった。

 ティルトベッドに移され、1日目は30度、2日目は40度と頭を上げ足を下げて身体を立つことに慣れさせていく。

 たった40度を越えただけで血液が足の方に下がってパンパンになり、頭が貧血状態になってふらふらする。よほど身体がなまってきているのだ。50度を越えるともう気持ちが悪くなる。


 ところがティルトベッドの訓練を始めて4日目、角度が60度を越えた時のことだった。

 視野がいきなり広がり、青空のもと広くて青い伊勢湾の海が現れた。

 事故に合って1ヶ月半、ずっと天井しか見てこなかったのだが、自分のいたのは常滑市民病院の五階であり、海の見える最高の病室だったのだ。

 やっと生還できたとしみじみ感じた。何気ない風景、何気ない空気が全て新鮮で有り難く、生き返る思いがしてこのときの感動を忘れないようにしようと思った。


 ティルトベッドは70度80度と進み、自分で立つ、座るのリハビリに入る。

 この頃は車イスにも乗った。車イスに乗った自分はこれも新鮮で病院内はもとより、病院外へも押してもらって外の空気を吸った。


 ナースステーションは科によって別れていて、自分の科は整形外科だった。おおむね内臓系の病室に比べて整形外科は雰囲気が明るく患者も元気な人が多い。

 消灯時間が来ても寝られないので、夜な夜なナースステーションに行って看護婦と雑談しに行ったり、からかいに行ったりして時間を過ごしていた。


 約100日間で退院し、後は一年間の休職の後、職場に復帰することとなる。